| 飼い主の事情 現在、坂崎家の居候であるカイジ…ダメモード突入中のカイジができることといえば、坂崎家の飼い犬の散歩くらいのものである。 「俺、こんなことしてていいのかな?いや、よくないんだよなぁ…」などと思いつつも、坂崎家の一人娘に言い寄られ、とにかく一人になりたいカイジは、夕暮れ時の、むしろ犬に連れまわされるだけの散歩の時間を心待ちにしていた。 犬は雑種である。捨てられていた仔犬を、美心が情にほだされて拾ってきたらしい。何犬がベースとも言いがたいが、エサもそれなりにいいものを与え、シャンプーもブラッシングも美心が丹精こめて行っているにもかかわらず、毛並みがぼざぼざでつやがなく、一応は日本犬系のような雰囲気だが、なんだか眉毛を書きたくなるような間抜け顔。 基本的に白いのだが、遺伝子のいたずらで微妙にうっすら茶色…それがきれいにシャンプーしても、どことなく薄汚れて見える原因なのだが、こういえばあの犬はしっかり茶色だったなぁ…と、カイジはふと、遠藤宅の『カイジ犬』を思い出す。 もう、絶対『犬』は省略されて、またあの犬は『カイジ』と呼ばれているに違いないが、要は自分が遠藤の元へ行かなければ不愉快な思いはしなくて済むのである。幸い、住むところと食事は今のところ確保できているわけだし。 大体、犬のしつけにしては、遠藤の犬を撫で触る手つきがいやらしすぎるのだ。 その手つきで自分が『しつけ』られたことを思い出し、カイジは赤面し、その場で直立不動の地蔵状態に…犬に引っ張られて我に返ると… 「おう」 「げっ」 おんなじ東京都とはいえ、こんなに広いのに、どうして公園でばったりなんてありうるのか… 噂をすればなんとやらではないが、目の前には遠藤が、大きくなったカイジ犬を連れてそこにいた。 「元気か?」 「…う…うん、まぁ……いま坂崎のおっちゃんのトコで世話になってる」 「…そうか」 ひとけのない公園のベンチに二人で座り、会話はそれだけ。 気まずいのは、借りた金の利息すら初回から入れずに姿をくらましたこともあるが…ふしだらなことを思い出してしまったときに、その相手とばったり出会ってしまった気恥ずかしさの方が大きい。 見るともなしに視線は遠藤の指先に走り、それを意識してしまうと、ぶんぶんぶんと首を横に振って視線をそらすということを、数分おきに何度も繰り返している。 犬同士は飼い主の状態などまったく頓着することなく、足元でやたら仲良くじゃれあっている。自分と同じ名前の犬が坂崎家の犬を追い回している様子は、なんだかフクザツな気分であるが、その飼い主と並んで座っている方がもっとフクザツな気分だ。 席を立ちたいが、きっかけがつかめない。カイジはタバコをふかす男の横顔を、なにやら恨めしげに見つめた。 「そういえば…」 口火を切ったのは遠藤だった。 「利息。人が親切に特別低金利で貸してやってるんだから、せめてそれくらいは入れるもんだ。大体、元金が10万で年利を特別に10%にしてやってるんだから、月々一万ちょい返していけば、1年足らずで返し終えるだろうが?それくらいならフリーターでもちゃんとバイトしてたらなんとかなるだろうに、どうして返そうとしない?」 図星を指されると、人間、カッとなるものである。このままじゃいけないと思っているのも自分。だが、現状に甘んじて流されているのも自分。自分のふがいなさは自分が良く知っている。だから怒る。わかっているから、もうしばらくそっとしておいてもらいたいのだ。その考えが堕落の元なのだが。 「俺のっ…」 「ああ?」 「もともとは俺の金だっ!それをどうしてあんたなんかに返さなきゃいけないんだっ」 遠藤と相対するときは、口を開けば金・金・金…ほとんどが金にまつわることである。本当は多分、別のことが言いたいのに、きっと一生、そのことは言えない。それがもどかしく、なさけなく…逆ギレである。 「でも今は俺の金だ。ちゃーんと返さにゃいかんだろう?地下労働施設に比べたら、お前にとってはどこだってマシな就職先だろうに。バイトでもなんでもいいから、とにかく働く習慣をつけたらどうだ?」 半分は首を傾げたい理屈だが、働く習慣うんぬんは正論なのである。言葉の継ぎ穂がなくて、カイジはまた押し黙った。 所在なさげに視線を外すカイジに、遠藤ニヤリ。 「まぁとりあえず、手っ取り早く利息だけもらっておこうか」 そういうや否や、遠藤はカイジの手を取りその体を引き寄せ、くちびるをむさぼる。 黄昏時…人っ子一人いないのが救いではあるが、ハッテン場でもないのに男同士のキスシーンなど展開して、しかもそれを知り合いにでも見られたら…ふと、自分より悪徳金融業とはいえ、会社社長である遠藤の方がリスクが高いことに気づき、カイジは必死で体を押し戻そうとするが、もがけばもがくほどきつく、遠藤の腕はカイジの体を抱きすくめる。 その力強さといつもより激しいくちづけに、遠藤の言葉にできない心を垣間見た気がした。 ただ逢いたかったのだと… こわばる体の力を抜いて、この背に腕を回してしまいたい誘惑に駆られる。 カイジの年齢で仕事内容を選びさえしなければ、金は作れないこともない。だから物理的に返せないわけではなく、精神的に返せないのだ。自分が自己嫌悪に陥ってもなお、遠藤と自分をつなぐ絆は金だけである。だから糸は切りたくない…そして行き着く無意識の自堕落。 たったひとつのことを、意地を張らずに自分も認めてしまえばいいのだ。 くちびるが離れ、数秒…お互い見つめあう。 「カイジ…」 続きは激しい犬の鳴き声に言うことができなかった。二人ともリードを離してしまっていて、それでもすぐそばにいたのはまだ救いであるが… 「ああっ、ユージっ、ダメだったらっ!!」 カイジ犬が坂崎家の飼い犬の上に乗っている…って、まぁいわゆる交尾。それでも乗っているカイジ犬の方を注意しないのは、自分と同じ名前なせいであるが… ユージ?ユージって、あの駄犬が? 毛並みと顔立ちからカイジの連れている犬はオスと決め付け(というより、カイジ以外はろくに見ていない)、しかも今の名前が決定打で、交尾に見えて犬同士のマウント行為だと判断した遠藤は、犬の間に入って割ろうとは思っていないが… ユージ。ユージねぇ… 「遠藤さんたらっ」 カイジに怒鳴られ、遠藤はやっとこさカイジ犬を引っぺがし、これで本家のカイジとサヨナラはさすがにイヤなので、とりあえず手近な外灯にリードを結わえておく。 「ユージって、お前がつけたのか?名前」 カイジも自分と同じように思っていたかと、うれしいような、でもあんまりみじめったらしい雑種にそれはちょっとなぁ…と、複雑な遠藤である…が。 「いや、つけたのはおっちゃん。ほかにもアレキサンドラ、花子がこの犬についてる名前」 家族のみんなが好きな名前で呼んでいるらしい(犬の教育上、大変よろしくない)。でも、アレキサンドラとか花子って女の名前だろう? 「それにしてもおっちゃんもなんなのかなぁ…『男の名前にしておけば、ヘンな虫も寄り付かないだろう』って、メスなのにその名前にしちゃうんだもん」 いや、きっと、ヘンな虫ってお前のこと…って、メス犬!? 坂崎に名刺を渡した憶えもないので、犬の名前は偶然かもしれないが…改めて遠藤が坂崎家の飼い犬を見やり…あまりの毛並みの悪さに悲しくなった。なんだか切ない一時期の自分を思い出すのだ。利根川失脚のあおりを受けて、不遇時代の自分。一時、住まいを差し押さえられ、ほとんどいやがらせ的に、あつらえた仕事着のスーツ全部を持ち去られ、しかたなく『洋服の○○』で2着で1着分のお値段の吊るしのスーツを買うしかなくなり… 「なぁ、虐待とか、されてねぇだろうなっ!」 先ほどよりさらに熱く、カイジの両腕を掴んで訊く。 それは坂崎のおっちゃんに失礼だろうと思いつつも、自分より犬に向けられる情熱の方が大きいのに面食らうカイジ。カイジは遠藤のフルネームが『遠藤勇次』なのを、そういえば知らない。 「…いや、普通…それより手厚く面倒見られてるかも」 「いや、でも、かわいがってるように見えて、実は犬にはストレスってことがすごく多いんだっ!ちょこっと聞いた限りでも、犬の飼い主としての常識がいまいち欠けている家族みたいだしな。うちのカイジとも好きあっているんだし、カイジとユージの愛の結晶なら、100匹だって面倒見てやるっ!だからうちに引き取らせろっ!ついでにお前も一緒に来いっカイジ」 「俺はついでかよっ!!」 公園内に響き渡る、男同士のどう聞いても痴話喧嘩が延々と続き… タイミングの問題か、人っ子一人いない公園で、ふたりのキスシーンからの一部始終を見ていた人物が一人だけいた。 美心である。 久しぶりにアレキサンドラの散歩をしたいな!ついでにカイジくんとお散歩デート!キャッ!…と、カイジの後を追ってきていたのだ。 …どうしよう。カイジくんがヤクザみたいな男の人と…人の道を踏み外しちゃうっ!!ついでにアレキサンドラにまで悪い虫が… そういう意味では、とっくの昔に人の道は踏み外しているが、そんなことは美心の知ったことではない。 |
あとがき 遠藤さんがカイジのいる公園にたどり着いた手段。 1:オーソドックスに発信機 2:カイジの行きそうなところをしらみつぶしに前もって調査 3:カイジ犬に匂いを追わせた 4:自分でカイジの匂いを追ってきた 以前、ある方とメールのやりとりをさせていただいたとき、 『カイジも犬に「遠藤さん」という名前をつけてかってもらいたいです。かっこいい犬じゃなくて雑種のもこもこしたやつとか』 というカイジ犬の感想をいただいたので、ちょっとやってみました。 カイジは住所不定だから、坂崎さんちの犬ということにしてみましたが、別にしょぼくれ気味の野良に毎日てきとうなどこかでえさをやり、『遠藤さん』って名前をつけて、一人赤くなってるってのも、またありですね。そういえば。 Uさん、ありがとうございました! |